ピアノは哲学

「ピアノは哲学ですよ」とお話しすると、大抵の方はびっくりされます。

ですが、長く私のレッスンを受け、無駄話にも散々お付き合い頂いている生徒さんやママたちは、
なるほど〜 とか、解ります‼︎
という反応を見せてくださいます。

どういうことかといいますと。
15年間ピアノを教える仕事をさせて頂いていますが、楽譜の読み方やピアノの弾き方をお教えして、

ピアノが弾けるようになりました
となっても。

正直なところ、

「それがどうしたの??」

というのが私の本心なのです。

・音大に受かった。
・コンクールで入賞した。
・合唱で伴奏者に選ばれしっかりと役目を果たせた。
・発表会で満足いく演奏ができた。
・弾きたい曲が弾けるようになった。

どれもこれも素晴らしいことですし、教える立場の私にとって、非常に嬉しくやりがいも感じます。生徒さんも、お家の方々も本当に喜んでいらっしゃるので、それを見るのが私の幸せです。

しかし、
なのです。

それよりも、前提として、
楽譜から何を読み取り何を感じ、
自分のこれまでの人生と照らし合わせて何に共感し、

または経験したことがないものであれば、
何を想像し、
何を音として自分は表現したいのか
何を人々に伝えたいのか

その為に、
どのような光景やイメージ、感情をもって
どんな音色で
どんなエネルギーで
どんな思いを込めて表現するのか

そして、これらを音として生み出すために、
何に注意を払い
どれだけ集中し
どれだけ時間をかけて
どのような練習方法で
いつまでに理想の演奏へ近づけていくのか

最後に、本番で
どのように精神統一し
どのようにベストなコンディションを保ち
自分は何をどのように表現し
誰に何を伝えたいのか

そして、これら一連の事柄には、
自分が紡ぎ出す一音一音を愛し
メロディーを愛し
響きあうハーモニーを愛し
今奏でている曲を愛し
ピアノを愛し
音楽を愛し
ピアノを奏でられるこの一瞬を愛し
自分を愛し
家族を愛し
人々を愛し
生命を愛し
地球を愛し
宇宙を愛する
その心が込められているべきだと。

このことができているのならば。
もしくは、
このことを日々心に留めてピアノと向き合っているのならば。

音大に合格できなかったとしても。
コンクールで評価されかったとしても。
合唱の伴奏に選ばれなかったとしても。
発表会で間違ったり、途中暗譜が飛んで止まってしまったとしても。
弾きたい曲が弾けるようになるまてすごく時間がかかったとしても。

そんなのどうでもよくないですか?と私は思うのです。

日々のピアノとの対話で学んだことはひとつひとつが深く、しんしんと身体に心に細部にまで浸透していきます。

毎日毎日、一年、また一年と丁寧にその学びを積み重ねることで人としてどれだけ成長できるのか。

その成長の度合いは人それぞれであっても、何も意識せず、ただピアノを弾いているのとは大きく異なることは事実だと思うのです。

ピアノと向き合うことは、自分と向き合うこと  です。

ありのままの本当の自分の姿が嫌というほど浮き彫りとなって自分の前に現れてきます。(特に本番中)

好きな自分
嫌いな自分
素敵な自分
醜い自分
有能な自分
無能な自分

全部自分です。
そんな自分からは命を絶たない限り逃げられません。

ピアノを通して色々な自分を知り、自分と向き合い、時には自分が嫌になりながらも、自分と戦ってきました。

結論、今は私はありのままの自分が好きです。完璧じゃない自分が好きです。むしろ、あちこち欠けてていいじゃないかと。

だって、生徒さんやママたちも、
先生って意外と抜けてますよねー

と仰いながら、甲斐甲斐しくフォローしてくださるのでそれが、すごーく嬉しくて有難かったりします。

自分とは何か

それを知るための手段としても
「ピアノで学ぶ」ことはお勧めです。

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2021.1.4

哲学