「習う」という受け身な姿勢とさよならしよう

レッスンをしていて思うこと。

こんな風に歌って
こんな風に身体を意識して
こんな風に弾くのよ〜

と、説明と実演を織り交ぜながらやってみせるのですが。

生徒さんの反応はというと
ぽけーっとしてる

ことが多い、苦笑。


本当に身につけたければ、

こんな風に歌って
(一緒に実際に自分も歌ってみる)

こんな風に身体を意識して
(一緒に実際に自分も身体を意識してみる)

こんな風に弾くのよ
(一緒に実際に自分も弾いてみる)

ということをやるよね?
なんで言われないとやらないの〜??

とかなりがっくりきます、笑。

でも、みんな最初からこんなに消極的だったのではないと思うんです。


なので、
なんでこんなことになってしまったのか。
自分なりに考えてみました。


結論。

「習う」という姿勢でいる限り
全て受け身になる

ピアノは「習い事」ではない
んだよ。

「教えないといけない」(教える側)
「教えてもらってる」(学ぶ側)

という意識を捨てない限り
自発的な学びは身に付かない。


わたしは受け身なレッスンはしたくないし、はっきり言って無意味です。

でも、これまでの日本の教育システムが
まるで養鶏場なので、致し方ないのです。

要するに、
自発的に学ぶ機会が少ないので、
自発的な学び方も知らなければ
それがいかに楽しいかというのも
実感しにくいのです。

感性が閉じられているといってもよいのかもしれません。

養鶏場システムとは。

囲いの中に何羽も詰め込まれて、
時間になったら自動的に
餌が与えられて、
水が与えられて、
卵を産まされて、
外で運動させられて、
また元の檻の中に自ら戻っていく毎日のこと

私たちに当てはめるとこんな感じ?

狭い教室に3〜40人くらい
ぎゅうぎゅうに詰め込まれて、

算数だ国語だ理科だ社会だと
本人のやる気や理解度はお構いなしに
決められた時間に決められた順番で
勉強しないといけなくて、

給食は好き嫌いなく
出されたものを残さず
時間内に食べなきゃならなくて、

跳び箱が嫌いでも
今日はサッカーの気分でも
みんなと同じ体操着に着替えて
跳び箱をやらないといけなくて、

もう出来るし!っていう内容であっても
出された宿題をやらなくちゃいけなくて
(やらないと叱られるからイヤイヤ片付ける)、

異常に重たいランドセルを背負いつつ、
あーやれやれと、やっとこさ学校から解放される。


こう考えると哀しいのですが

かわいそうなニワトリたちと
たいして変わらない
ですよね。


これって別に、私だけが毒舌ぎみに話しているわけでもないんです。

こんな教育システムはおかしい!
と声をあげて、
ならば出来ることから変えていこう
と前に進んでいる方も沢山いらっしゃいます。


学校の教育は組織が大きすぎて
今すぐには変えられないけれど。

私の場合は
ピアノを通して
私が考えるより良い方向へ
から
変えることができます。

お母さん、お父さんならば
から
家庭でのお子さんに対する
声かけや行動を変えることができます。

周りの世界に対して、
ああだこうだと言う暇があれば、
まずは自分が変わればいい。

とってもシンプル。


というわけで。

まずはわたし自身が
「教えないといけない」
「私が教えているんだ」
という意識を手放そうと思います。

そうではなく、
「生徒さんと一緒に学んでいる
という意識で、必要なことを説明し、伝える。

そう。教えるのではなく、
説明し、確認し、伝える。

そして、
それは教師側から生徒さんへの一方通行ではなく、
お互いに意見を交換し、確認し、伝え合う。


学ぶとは
双方間のコミュニケーション
双方間のエネルギー交換
なのかも。


生徒さんの
「自ら学ぶ機会」を奪わない
ことがまず大事かな。


肝に銘じたいと思います。

結局は、わたし自身の問題

色々書きましたが、

結局は、
わたし自身の問題です。

教えるってかなり気をつけていないと
単なる教師の自己満になってしまいます。

伝えているつもりでも
相手に伝わっていなければ
伝えていることにはならない。

これ、ものすごく重要ですが、
なかなか難しいなと感じます。


ぽけ〜っとした子どもたちの反応を引き起こしている時点で

即アウト‼︎

だな、汗。


思考や言動を放棄させない関わり方をもっと学ばないといけないな…。

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2021.1.12

レッスン, 大切なこと, 教育, 日々のこと