自称「落ちこぼれ」だった音大卒のピアノ講師の私が、面白いくらいに楽にピアノが弾けるようになるまで〜日々進化中

この記事は、私と同様に「どんなに頑張っても上手になれない」と悩んでいるピアノ愛好家の方が、「私も変われるかもしれない!」と言う希望を持っていただきたくて書いています。少しでも参考になれば幸いです。

私の長年のコンプレックスは、ピアノがそこまで「上手く弾けない」ことでした。どの世界も同じですが、上には上がいるもんです。

3歳からピアノを習い始めた私は、高校生まで地元(福岡)の教室でレッスンを受けていました。どの先生からも「上手」と言われていたので、「私はピアノが上手いんだ」と本気で思っていました。自分には音楽の才能があると信じていました。

コンクールに出るようになって、「私って実はそこまででもないかも?」とぼんやり気付き始めるようになり、笑。当時自分のことに集中しすぎていたので、もっと周りを見ていたら、もう少し早くから現実に気づけていたのかもしれません。

そんな私も東京に出てみてさらに「世の中には同じ年頃で、こんなに上手い人が沢山いる」という現実を直視することになります。その中でも抜きん出て上手い人、我々一般人とは違うレベルの人というのも一握り存在することも知りました。

音楽大学とはいえ、いろいろなレベルの人がいます。私はその「いろいろ」の中でも恐らく下の方か、よくてなんとか平均すれすれレベルの実力だったと思います。

どういう基準で「上手い」と判断するのかも難しいところですが、テクニック的なところに絞っていえば、少なくとも超絶技巧の曲は全く歯が立ちませんし、ショパンのエチュードは腕が痛くなるし、バラード1番の最後のところなんかはテンポのコントロールができないと無惨に崩壊してしまうような腕前です。リスト、ラフマニノフなどは手が小さいので、挑戦しようなんぞ思ったこともありませんでした。

当時の私は「努力すればいつかは必ず弾けるようになるに違いない!」と信じていたため、朝から晩まで暇さえあれば練習していました。腕が痛くなったら、「こんなに腕が痛くなるまで練習している自分、すごい!」と謎な自己満足に浸り、でも実際は大して上手くならないという現実に心が折れそうでした。学内でも「練習をすごくする陽子ちゃん」で有名だったらしく、初めて会った子に「あ〜、あのいっぱい練習するって有名な陽子ちゃんね」みたいな反応をされることも多かったです。そのくらい練習の鬼になっていました。

教授のレッスンも、「絶対にうまくなってやる!」「先生に認められるようになりたい!」の気持ちが強すぎて、先生の言葉や指導もスッと頭に入ってこなかったんだと思います。常に空回り。困り果てた先生に、「あなたはどうせそんなに練習してもうまくならないんだからもっと遊びなさい!」と言われてしまいました。

「どうせ上手くならないんだから」
この言葉、酷いでしょ、笑!でも、酷くないんですよ。これこそ先生の愛。ここまで言わなきゃ、必死すぎて頑なな私には響かなかったと思います。

「もっと遊びなさい!」
これもね〜、強烈でしたね、笑。

これ以外にも「そんなことまで言う?」と思うことをズバズバ言われましたが、今思えば散々言われた結果、「そんなん言うなら遊んでやるっ!」と一気に吹っ切れ、「遊んでいい」許可を自分に出すことができました。

そして、本当に遊びまくりました。バイトも増やしました。お友達もたくさんできました。

そして、しばらく経ったある日のレッスンで、「あら、いいじゃない。それでいいのよ」と初めて演奏を褒められました。

何が言いたいのかというと、「心と時間のゆとりがないと身につかない」ということです。ゆとりがないと視野も狭くなります。学びの受け皿も小さくなります。だから成長しないし上手くならない。必死すぎると見えることも見えなくなっちゃうんですね。

あとは、練習の仕方や時間の使い方も本当に下手でしたね〜。無駄な練習を延々と繰り返していました。(生徒さんの多くも同じことやっちゃってるので、そこはこうした方がいいよ〜とアドバイスしています。)

そもそもクラシック音楽をやる上での正しいリズム感、からだの正しい使い方も知らなかったので、例えるなら、ママチャリで競輪に参加する、みたいな無理ゲーをし続けて身体を壊す、メンタルもやられるみたいなことになっていました。だから、上手い人は才能のある人、自分は才能のない人だと自分の中で線引きをしていました。(同じ気持ちでいる人多いと思います)

人って何歳からでも変われるんだ!という驚きと希望を持った出来事

そんな私が大きく成長したのは、大学を卒業してからです。人にピアノを教えることを通して、目の前の生徒さんが「なぜ弾けないのか」「どこにつまずいているのか」を観察・分析して、わかりやすく噛み砕いて伝えることを繰り返していくうちに、自分自身の演奏能力も徐々に伸びていきました。

そして、子供の頃にお世話になったピアノの恩師の発表会に参加させていただいた時に、衝撃的な出来事が起こります。

こどもの頃もその恩師の発表会に私も出ていました。恩師とは別の先生が講師演奏で確かモーツァルトを演奏されていたのですが、子ども心に「この先生、あんまり上手じゃないな〜」と感じていました。(実際音が転びまくっていました。すごく緊張されていらっしゃったんだと思います。)

その先生が、あれから20年くらい経ったその日演奏されたのですが、手が鍵盤にサラサラと触れて、軽やかにしなやかに動いているのを見て、

「あの時とは別人!先生すごい!上手くなってる!」(注:上から目線で失礼ですが)

と深く感動しました。そして、私も先生のように上手くなりたいと強く思ったんです。先生は恐らく50代か60代になられていたと思います。それでも奏法を変えれば美しい音で滑らかに弾けるようになるんだという事実は、私に衝撃と希望を与えてくれました。

ツィーグラー奏法に挑戦するも、果てしない地道な練習法に心が折れる・・・。

なんとか私も先生のように突き抜けられないかと模索したところ、近所でツィーグラー奏法を教えていらっしゃる先生を偶然見つけて、しばらく教えていただくことにしました。

ツィーグラー奏法は「魂の耳で奏でるピアノ奏法」(日本ベアタ・ツィーグラー協会ホームページより)です。

私なりの浅い解釈にはなりますが、音の核を聴きながら響きで音をつなげて弾くレガード奏法がベースになります。鍵盤を下まで押し込まない、音の核を聴いて、音の音価分(音の命)を最後まで聴き切る、全ての声部を分解して、まるで合唱のパート練習のように声部ごとに弾く、声部の組み合わせを変えて全てのパターンを弾いて聴くというやり方(わかりやすく例えるなら、10人の役人の声を同時にばらばらに聞き取った聖徳太子のような耳になる訓練)を学びました。ピアノ経験者でしたらわかるかと思いますが、バッハのような細かい練習を全ての楽曲に対してやる、といった感じでしょうか。

これには本当に根気がいりました。まずは1音だけ響かせる練習から始まり、最初のレッスンはひたすら「ド」を鳴らして聴き続けるだけで終わりました、笑。1曲仕上げるにもとんでもなく時間と労力がかかり、少しでも早く上達したいと焦っていた当時の私には非常にしんどく感じたため、奏法の習得を諦めました。

創始者のベアタ・ツィーグラーさんは修道女なのですが、なんだか納得です。

奏法の習得には至らなかったものの、奏法の基本に少し触れさせていただいたことで、音に対して以前より大切に奏でようという気持ちが強まり、音の命を感じられるようになったので、一音一音に対する意識が高まりました。また、音や音楽を立体的に聴く初めての貴重な体験をすることができました。ピアニストの藤原由紀乃さんはツィーグラー奏法の唯一の継承者なのですが、その演奏は深みがあって思慮深く、一つ一つの音が心にあたたかく染みいるようなとても素敵な演奏をされる方です。

まだまだ続く、模索し迷走しまくる日々・・・。

このあと、「こんな音を奏でたい」「こんな風に表現したい」「もっと弾きやすくならないか」という気持ちが強い私は、自分なりにいろいろ弾き方や姿勢、音の感じ方などをいろいろ試すことになります。その過程で変な癖がついてしまったり、腰痛などからだを壊してしまったりと模索と迷走を繰り返していました。

そんな私にも転機が訪れます。続きはまた次の記事に書きたいと思います。

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2024.7.30

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